創業までの経緯(最終回) Link-Rがなくなる時。
起業したいという相談をしたときなどに、
「起業家としてのゴールは何ですか?」という質問を
何度かされたことがありました。

私はそのたびに少し考えてから
「私の仕事が無くなっても困る人がいなくなる社会を作ることです」
と答えていました。

Link-Rがやろうとしているのは
「困っている若者を助けること」です。
困っている人を助けている人間にとって一番嬉しいのは
自分たちを頼る人(=困っている人)がいなくなることです。
(現実には極めてあり得ない話ですが)

では、どうすればこの目標が達成されるのでしょうか?

達成すべき項目1
「明日着る服を自分で選ぶように、自分の人生や性に関することを
自分で決められるようになること」です。
自分のために一番良い選択ができる人が増えるという意味と、
そういう決定を周囲が尊重できるような環境が作られるという意味の
2つがあります。

達成すべき項目2
また、その意志決定をするために必要な
「科学的その他の観点から信用に足る正確な情報」に
誰でも容易にアクセスできるようになること。

達成すべき項目3
上記のような
「自分のことは自分で決めていい」
「そのために必要な情報はこのように手に入れましょう」
という意識や知識を、誰もが身につけていること。

達成すべき項目4
「性」という、極めて個人的かつ生きる上で基本となる話題を
語りたい時・語るべき時に、適切に語れるようになること。
(個人の認識として、社会の了解として)



性の話題は、タブー視をされたり恥じらいや時に蔑みの対象になります。
その一方、性は生きる上でもっとも根本にあることの1つでもあります。
(子孫を残すということも、性と深く結びついています)

性の話題を取り上げることはセックスを勧めることではありません。
その手前にある「自分を愛すること」「人を愛すること」も含めて
「生きる ということを語る」ことです。

Link-Rの仕事が必要なくなるとき。
それは若者が
(比喩的な意味でですが)自力で生きていけるようになるときです。

そういうときが来ることを待っていますし、
そういうときが確実に来てほしいと思って、
この事業を始めました。

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カテゴリー「創業までの経緯」では、創業者であり代表の柳田正芳が
Link-Rを創業するまでのいきさつをまとめました。
最終回は創業までのいきさつではなく、
「創業時に思っていた将来像」の話をいたしました。
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創業までの経緯(7) ティーンズルームの実施と成功。
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2009年、柳田にとってターニングポイントになる活動ができました。

知り合いの産婦人科医師・須藤なほみ先生が代表を務める
NPO法人・ティーンズサポートが、
「渋谷に”街の保健室”を創りたい。
ノウハウのある人に手伝ってもらいたい」
と声をかけてくれました。

海外ではドロップインセンターなどと呼ばれる
健康支援拠点事業と同様のもので、
・看護師などの資格を持った専門職が常駐
・ターゲットとなる若者世代と年の近い若いボランティアも常駐
・オープンスペースも無料で使え、放課後の時間を過ごすこともできる
・個室もあり、専門資格を持つスタッフによる個別相談も行える
・性感染症や妊娠反応の検査も受検ができる
・利用は匿名で、保険証も不要
などの特長を持った、若者のための相談と検査ができる場所です。

若者はこうした場所に、溜まろうとしてやってきて、
スタッフと話しているうちに「実は最近、彼氏と・・・」と相談をはじめ、
スタッフとの話で不安を感じた子は検査も受検する、
などといった使い方をしていました。

柳田はこの施設の企画準備段階から携わりました。
最初から2ヶ月限定と決めてのオープンでしたが、
その間はほぼ毎日現場に入り、
スタッフの統括や育成、相談相手、その他の事務雑務などを行いました。

もちろん、本当に多くの賛同者や応援者の方に支えられたからこそ
成功できた事業ではありましたが、
私自身もこの事業を通して
「ドロップインセンターの必要性」や「支援サービスとしての有用性」
を改めて大きく感じました。

この事業には地元渋谷に本社を置く
複数の企業さんも協賛をしてくださり、
小さな共同イベントを行うこともできました。

ドロップインセンターには、
若者支援に必要なリソースを集める
プラットフォームとしての可能性もあることに気づきました。

今後Link-Rは、ドロップインセンターを核とした
若者支援サービスを立ち上げ、
支援活動を行っていきたいと思っています。
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創業までの経緯(6) Link-Rという名前の由来。
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起業家にとって、商号や屋号というのは大切です。
柳田にとってもそれは同じでした。

起業をしようと思ったとき、本当に直感的にですが、
こんなことを考えていました。

いい活動をしている人、
いいアイデアを持っている人、
若者支援に役立つスキルやサービスや商品を持っている人が、
それぞれバラバラに存在している。

社会問題の解決には、
「統計上の数字」という全体を捉える大きな視点(マクロ)と、
「1人の個人」という対象を追う小さな視点(ミクロ)の
両方が必要だ。

そんな風に、
本当は「いいバランスでくっつくことで
もっと大きな力を発揮できるもの」が、
それぞれバラバラになっているということを直感していたのです。

そういうバラバラになったもの1つ1つを、
若者を支援するためのリソース(資源)と捉えました。
だから、それをくっつけて新しいサービスを立ち上げれば、
今までよりもっと大きな支援サービスが作れるのでは?
と、考えたのです。

最初はそういう抽象的なところから始まった創業哲学でしたが、
それが現在の商号でもある「Link-R」という名称を生み出し、
そして今、この考え方が少しずつ応援して下さるみなさんに
理解されてきています。


Link-R 
⇒Resource(資源)をリンクさせる(つなげる、くっつける)
「誰かが頑張る」から「誰もが参加する」へ、
1つずつの小さな資源をつなげて、より大きなものを創り出す。
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創業までの経緯(5) 起業という選択。
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私がなぜボランティアとしての活動にとどまらず
個人事業主として起業したのか。

それは
 ・労働力&サービス品質の安定化
 ・投資と回収による事業の永続性
 ・これから来るべき共生型社会
という「ビジネスの手法で社会問題を解決する」ことに
可能性を感じたからです。

ボランティアでこうした問題に関わると、
自分の本業の傍らの活動となってしまい、
投資できる時間と労力に限界が出てきます。
それでは自分の問題意識を必ずしも満たせないことを
学生時代の活動で痛いほど味わっていました。

本当に社会問題に取り組んで質の高いサービスを安定供給するなら、
専従して自分の時間とスキルを投資する必要があると思ったのです。

また、ビジネスの基本である「投資と回収」を
自らの事業の中で実現することで、
寄付などの不安定な収入に頼らず、
しっかりと財政的に自立することができる
とも考えました。

そして、遠からぬ未来、社会貢献活動にどれだけ意識が向いているかが
企業のステータスになる時代がやって来るとも思いました。
"自社の事業が社会貢献にもなっている"というビジネススタイルや、
余剰収益を少しでも社会の共益に還元する姿勢が社会から評価され
本業の売り上げにも影響する時代がやってくるはずであると。

個人がやれることは限られています。
でも、小さい力が集まれば、それはやがて大きな力になると思います。

「やれることをやれる範囲でやってください」
「少しでも、関心を持って社会貢献に目を向けてください」

こういうことを、
「社会貢献で身を立てる自分」というロールモデルを通して
社会に投げかけることができたら。
そして、小さな力をつなげて、
困っている人のところに届けるハブになれれば。

私の起業という選択にはそうした想いがありました。
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創業までの経緯(4) 離れて、また原点に戻る。
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大学を卒業するくらいのタイミングで、
色々人生を迷うようなことがあったりして、
最初は普通の企業に勤めました。
IT系の小さな企業で営業職をしました。

1年くらいその会社にはお世話になったのですが、
そこにいる自分は自分でないような気持ちがずっとしていました。

会社勤めをしている間も、学生時代の活動を知っていた友人からは
「お前、大学のころ性感染症のこととかやってたよな?」
「相談があるんだけど」
というような連絡を時々もらったりして、
「みんなどこかで、こういうサービスを必要としているんだな」
ということを感じました。

こういう経験を何度か繰り返すうち、自分の中でもう1回、
高校2年のときに感じたような、
「誰にでも起こるかもしれない悲劇を避けるためにはどうすればいい?」
「何かの支援を必要としている人に、それを届けるにはどうすればいい?」
という想いが芽生えてきました。

そういうサービスを必要とする人がいる限り、
自分はそのサービスを提供する仕事をしたいと、
そのとき思ったのです。

このころから、柳田は起業を考えるようになっていました。
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創業までの経緯(3) 国際会議で刺激を受ける。
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U-COMのような活動では、支援者とのパートナーシップが重要です。

2002年〜2003年のしゃかりきに活動した時期を振り返り、
経験則から「支援者との関係性はこうあるべき」というような持論を
自分なりに作っていきました。
2004年のことだったと思います。

その時点で柳田が感じていたのは
「若者の自主活動と言いながら、若者の意志はなかなか通らない」
といったことでした。

そんな折、IPPFという国際NGOで
若者グループの支援活動をしているシニアアドバイザーの
ドーチェ氏が来日し、「支援者かくあるべき」という講演を行いました。

柳田は、
自分が支援者との関係性について考えている時期に彼女が来日したこと、
その上で彼女が自分の考えていたこととまったく同じことを、
日本で思春期ピアの支援をする人たちに語っていたことに
強い衝撃を受けました。

彼女とのこの出会いが、
柳田の若者活動支援者としてのターニングポイントになったことは
間違いありません。

同じ年、カイロ会議(※)から10年を記念した
世界中のNGOが集まる世界会議が、ロンドンで開催されました。
日本からの参加者は、報道陣等も含めてわずか十数名。
日本では知名度の低い会議でしたが、
柳田はその日本からの参加者の中にいました。

その会議の中では
「ユース(若者)」のセッションもあり、
「若者による活動」というものが、立派に市民権を得ていました。
自分自身が日本で経験した環境との差に驚くと同時に、
「必ずこういう環境を作って、
自分と同じように苦労している日本の若者活動家を助けたい!」
と感じました。

この経験を通して、「困っている若者に手を差し出す」というだけでなく、
「”若者活動をする若者”を支援する」ということにも
関心が向くことになりました。

(※)カイロ会議
1994年に開催された国連の「国際人口開発会議」。
エジプトのカイロで開催されたことから「カイロ会議」と呼ばれる。
リプロダクティブヘルス/ライツ」が歴史上初めて
基本的人権として世界的に認識された。
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創業までの経緯(2) 大学時代に出会った団体。
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柳田が高校を卒業する少し前、縁があって会員になった団体がありました。

15歳〜24歳までの人が会員になれて、
性に関する勉強会をしたり、
そこで得た知識を広めるためのイベントをしたりする
団体だということでした。
それが社団法人日本家族計画協会が支援する「U-COM」でした。

柳田は大学に入るタイミングでそこの事務局長に推してもらい、
それから3年間事務局長を務めることになりました。

事務局長をしていた時期は大学1〜3年のときと被っていました。
文系の学生の1〜3年次と言えば、それなりに時間もあるときですので、
U-COM活動にはけっこう積極的にコミットしました。

例えばこんなこと。
>渋谷区ハチ公前エイズデーキャンペーン(渋谷区保健所と合同開催)
(2002年〜2004年に担当)
⇒医学書院の『保健婦雑誌』(現在の『保健師ジャーナル』)に
2002年12月開催分の報告記事が掲載(59巻9号/2003年09月)

>大学の文化祭に呼ばれての企画展出展
⇒国際医療福祉大学・風花祭(2002年、2003年)、
 慶應義塾大学・四谷祭(2002年)など

>自主企画イベントの開催
⇒「Enjoy CONDOMing!」:ライブイベント

>大学の講義へのゲスト講師参加
⇒埼玉大学教育学部:社会教育活動の実践家として、
普段の活動のデモンストレーション(2002年、2003年)など

>市民フォーラムへのパネリスト参加
⇒南伊勢志摩保健福祉部(三重県伊勢市)主催思春期フォーラム
「生と性、エイズの教育実施に向けて」(2003年)など

>国際会議への参加
⇒南々協力国際会議(国連大学,2002〜2003年)
⇒GLOBAL ROUND TABLE(ロンドン,2004年)(カイロ会議+10年)

こうした活動を通して、
高校2年のときに友人からもらった1本の電話でひっかかっていた、
「困っている若者に手を差し出す」という実践を積みました。
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創業までの経緯(1) 高校時代の友達のこと。
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柳田がまだ高校生だったころ、ふとしたきっかけで知り合った
他校の同い年がいました。

「今の彼女とラブラブなんで、マジで嫁にもらおうと思ってます」

よほど大好きな自慢の彼女だったのでしょう。
当時は合唱部で歌を歌うことしか能のなかった柳田にとっては、
結婚とか恋愛をこんなに生き生きと語られるのは凄く新鮮でした。

それから半年して、彼から久々に電話がありました。
詳しい話は聞きませんでしたが、彼女の妊娠発覚を契機に別れたこと、
自分のようにラブラブだった人間にもこうした別れがあること、
だからみんなにも気をつけてほしくて知り合いに電話をしていることを
話してくれました。

こんなことが起こってしまう前に、
彼らがもう少し色々な情報を得ることができていたら、
こんな悲しいことにはならなかったかもしれません。

こうしたことは誰にでも起こり得ます。
柳田はこの出来事を忘れることができず、
これ以上同じような悲しい出来事を増やしたくないという想いで
高校時代の後半を過ごしました。
| ■創業までの経緯 | 22:28 | - | - | ↑TOP -
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